宇宙探査機

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    宇宙探査機

    宇宙探査機
    宇宙探査機(うちゅうたんさき)は、地球以外の天体を探査する目的で宇宙に放出された無人の人工物体である。
    宇宙に存在する、惑星、衛星、太陽、彗星、小惑星などの探査を目的とする。
    現在は技術の限界から太陽系内の探査にとどまっているが、遠い将来は太陽系の外へ探査機を飛ばすことを考える科学者もいる。
     
    宇宙探査の歴史
    人類の宇宙探査は人類にとって最も身近で実際に距離も最も近い「月」から始まった。
    人類の月への興味は古くから物語(『竹取物語』など)として語られており、産業革命以降の急速な技術発展が人類の知的好奇心を満たすべく宇宙探査機を直接地球外の天体の周囲(もしくは天体表面)に送って調べることができるようになったのである。
     
    最も近い地球外天体『月』
    人類史上初めて地球以外の天体を目指した探査機は、ソビエト連邦のルナ1号である。
    ルナ1号は月にはじめて接近し、本来は衝突させる計画であったが軌道を外れて月をかすめるコースを取り、そのまま太陽をまわる人工惑星となった。
    次のルナ2号は人類史上初めて月面に到達、衝突に成功した。
    さらにルナ9号で月面への軟着陸を世界ではじめて成功。
    着陸したのみで研究成果は少なかったが、初めて他の天体に着陸を果たした功績は大きい。
    さらにルナシリーズは続き、ルナ16号は月の石を無人探査機で持ち帰り、ルナ17号は無人月面車(ルノホート)を走らせ、さまざまな調査を行った。
    一方、冷戦の中で宇宙技術がソ連に遅れる形となったアメリカ合衆国は激しく対抗し、宇宙開発競争が行われる事となった。
    アメリカはパイオニア計画・レインジャー計画を皮切りに、サーベイヤー1号を月面に軟着陸させ、次々に無人探査機を送り込んだ。
    1960年代に有人のアポロ計画に挑み、アポロ11号によって遂に人類を月面に送り込んだ。
    失敗した13号を除いて17号まで延べ12人が月面を歩いた。
    ソ連も有人月旅行計画があったものの、大型ロケットの開発失敗によって頓挫した。


    内太陽系の探査

    内太陽系の探査
    内太陽系の宇宙探査も、月面探査競争と平行し、主に米ソを中心として行われた。
    アメリカはマリナー探査機を用い、金星・水星・火星に接近して写真撮影を行った。
    また火星にはバイキング1号・2号を連続で着陸に成功させ、火星地表の写真を撮影したほか、さまざまな調査を行った。
    一方のソ連は、金星にベネラ探査機を送り込んで軟着陸に成功し、初めて金星表面の写真撮影に成功した。
    また、金星の温度・気圧などを測定し、その環境を世界に知らしめた。
    同時期に火星にはマルス3号を送り込んで軟着陸に成功したが、大規模な砂嵐の真っ只中に着陸したため、20秒後に信号が途絶え、失敗した。
    1990年代後半に入って、日本や欧州なども惑星探査に本格的に進出した。
    日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) は火星探査機(のぞみ)を送るものの、地球スイングバイで軌道変更に失敗し、最終的に火星周回軌道への投入を断念、人工惑星となった。
    今後は金星に探査機 (PLANET-C) を送る予定である。
    また、欧州宇宙機関 (ESA) と共同で水星探査機(ベピ・コロンボ)を送る予定となっている。
    欧州も火星探査機を投入している。
    マーズ・エクスプレスは2003年末に火星周回軌道に到達し数々の成果を挙げたが、残念ながら火星表面への着陸機投入には失敗した。


    外太陽系の探査
    外太陽系の探査
    火星より遠くの宇宙探査は、もはやアメリカの独擅場となった。
    パイオニア10号・11号とボイジャー1号は立て続けに木星と土星に接近し、写真撮影を行った。
    そして次のボイジャー2号は、木星・土星を撮影・調査した後、天王星・海王星がたまたま近くに接近したため、急遽進路を変更して、はじめて探査した。
    これらの調査により、木星・天王星・海王星にも土星同様に「環」が確認されたほか、ボイジャーは数々の衛星を撮影した。
    これら4機の探査機には、いずれ他の太陽系に届くとの希望を込め、異星人あてのメッセージが積み込まれている。
    できる限り地球独自の習慣によらず科学的に来歴を明らかにする工夫が凝らされているが、パイオニア10・11号に積載されたメッセージ板に刻まれた男女の裸体のイラストをも含めて、これらの異星人あてのメッセージをめぐっては、様々な議論が交わされた。
    ボイジャー計画が終了すると、アメリカは再度木星を目指し、ガリレオをスペースシャトルから発射した。
    木星に到達したガリレオは、木星大気中に探査機を投下し、大気圧で押しつぶされるまでの数十分間に渡って、地球にデータを送信した。
    一方ソ連の消滅によって、宇宙事業全てを引き継いだロシアは宇宙探査を行う余裕はなくなっている。
    アメリカはさらに欧州宇宙機関と共同でカッシーニを打ち上げ、土星に接近した。
    さらに衛星タイタンに探査機ホイヘンス・プローブを投下し、着陸に成功した。
    ボイジャーが唯一探査を行わなかった冥王星や、さらにその外側に広がるエッジワース・カイパーベルトに向けても、2006年にニュー・ホライズンズを打ち上げ、冥王星へは2015年の到達を予定している(なお、冥王星が惑星から準惑星に変更されたのは打ち上げから約半年後のことである)。
    20世紀終盤まではアメリカの独擅場だった外惑星探査にも、1997年、すでに豊富な実績のあるアメリカとの国際共同という形であるが、土星探査機のカッシーニによって欧州宇宙機関の本格的な外惑星探査への参入が始まり、遅れて同様に、日本の宇宙航空研究開発機構も、アメリカ、欧州との3機関国際共同プロジェクトとして、2020年頃の木星圏探査機ラプラスによって、外惑星探査に参入する予定[1][2]である。
       

    彗星探査
    彗星探査
    1986年にハレー彗星が地球に接近することを契機に、欧州宇宙機関(ジオット)や日本の宇宙科学研究所(さきがけ、すいせい)が本格的な宇宙探査機を送り込むようになり、ソ連も彗星探査機(ベガ1号・2号)を送り込むことになったが、アメリカはハレー彗星専用の探査機は送り込まずに欧州宇宙機関と共同で運用していた太陽系探査機(アイス)をハレー彗星に接近する軌道にのせ、3カ国1地域による共同観測が行われた。
    これらのハレー彗星探査機群はハレー艦隊と呼ばれた。
    その後アメリカはディープ・インパクトやスターダストなどを彗星に送り込み、それらの成果も挙がりつつある。
     
    火星への再挑戦
    1990年代後半から、アメリカは再び火星探査を開始した。
    まず1997年にマーズ・パスファインダーが着陸に成功、地上のデジタル写真撮影のほか、岩の成分分析を行った。
    1998年にマーズ・グローバル・サーベイヤーが火星周回軌道に乗って詳細な地図作りを開始した。
    1999年到着予定のマーズ・サーベイヤー99は軌道投入に失敗したが、2004年にスピリットとオポチュニティの2機が着陸に成功、火星に海があったことを示唆した。

    出会い系
    小惑星探査
    小惑星探査は、ガリレオが1991年と1993年に小惑星帯を通り抜ける際、それぞれ (951) ガスプラと (243) イダの撮影を行い、映像を送ってきたのから始まった。
    本格的な小惑星探査は、1996年2月に打ち上げられ、1997年7月に (253) マティルドへ接近、2000年2月に (433) エロスへ到達したNEARシューメーカーが最初である。
    それに続く日本のはやぶさ (MUSES-C) は2003年5月に打ち上げられ、2005年9月に (25143) イトカワへ到達した。
    現在、2010年の地球への帰還を目指して、宇宙科学研究所にて運用が続けられている。
    また、アメリカ合衆国でもドーン探査機が (1) ケレス(準惑星)と (4) ベスタを目指して2007年9月に打ち上げられた。
    さらに、現在冥王星に向かって飛行を続けているニュー・ホライズンズも、小惑星帯で (132524) APLの撮影を行ったほか、ケンタウルス族に属する (83982) クラントルの探査を行う計画である。
    なお、小惑星からのサンプルリターンに関しては、現在地球に向けて帰還中の「はやぶさ」が実現を目指しており、はやぶさの帰還に期待が集まっている。
    サンプルリターンは計画中の「オシリス」「はやぶさ2」の両探査機でも予定されている。
     
    再び月へ
    1990年代に入り、日本が次々と月探査計画(ひてん(1990年)/LUNAR-A(計画中止)/かぐや(2007年-2009年))を発表・実施し、欧州(スマート1(2003年-2006年))や中国(嫦娥1号(2007年-2009年))やインド(チャンドラヤーン1号(2008年-))も独自に月探査機を送り込むこととなった。
    アメリカも月の資源探査や有人基地化と火星有人探査への布石などから数多くの月探査機を送り込むようになっている。
    また、グーグルとXプライズ財団が民間での月探査に賞金を設定している(Google Lunar X Prize)。
     
    国際協力体制
    最初の本格的な協力体制はハレー彗星探査のときに行われた(ハレー艦隊を参照)。
    その後は大規模な国際協力はなかったが、2007年3月4日京都で行われた国際宇宙探査戦略にかかる京都ワークショップにおいて、2007年以降の月探査も含む今後の太陽系探査についてワークショップに参加した14の宇宙機関により国際協力体制を早期に構築することが確認された。

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