探査機・計画

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    さきがけ (探査機)
    さきがけ (MS-T5) は日本の宇宙科学研究所が初めて打ち上げた惑星間空間探査機(人工惑星)である。
    1985年1月8日に鹿児島宇宙空間観測所からM-3S-IIロケット1号機で打ち上げられた。
    さきがけは、ハレー彗星を探査する すいせい(PLANET-A)の試験探査機として打ち上げられた。
    ハレー彗星の探査の他に、新たに改良された M-3S-IIロケットの性能確認や深宇宙探査技術の習得などを目的としていた。
    姉妹機であるすいせいと異なり、さきがけには撮像装置は搭載されていない。
    さきがけの打上げに先立つ1984年10月31日には、PLANET計画のための受信アンテナとして臼田宇宙空間観測所が新設され、64 mパラボラアンテナが建設された。
    1986年3月11日には国際協力による探査機群・ハレー艦隊の一員としてハレー彗星に699万kmまで接近し、彗星付近の太陽風磁場やプラズマを観測した。
    1998年には21P/ジャコビニ・ツィナー彗星への接近観測を行う計画も検討されたが、推進剤が不足していたために断念され、1999年1月8日に探査機の送信機が停止されて運用を終了した。


    ひてん

    ひてん
    ひてん(第13号科学衛星 MUSES-A )は、宇宙科学研究所(現JAXA宇宙科学研究本部)が、1990年1月24日に鹿児島県内之浦の宇宙空間観測所から M-3SII-5 ロケットによって打上げた宇宙工学実験探査機である。
    孫衛星のはごろもを装着しており、後に分離している。
    月や惑星探査などに必要なスイングバイ等の軌道制御技術を習得するために使われた。
    「ひてん」が行った月スイングバイは単純なスイングバイではなく「近地点から月を経由し月の外に向かうスイングバイで遠地点高度と遠地点方向を制御し、遠地点から月を経由して地球に帰るスイングバイで、次回月スイングバイの決め手となる近地点の高度と方向を制御する事を繰り返す」と言う、遠地点-近地点の往復間で月スイングバイを経由し、軌道をどんどん変えて行く「2重月スイングバイ」であった。
    このスイングバイは非常に高度な技術であり、今の所、日本の探査機でしか行われていない(「ひてん」「GEOTAIL 」「のぞみ」で行われている)。
    また、地球の大気を利用して近地点での減速を行うエアロブレーキングの実験にも使われた(エアロブレーキングは「ひてん」で初めて実現した技術である)。
    その他、宇宙塵の観測機器や、天体を観測して自機の姿勢や軌道の情報を知るための光学航法センサ実験装置なども備えている他、新しいデータ送信や処理の実験も行われた。
     
    名称
    計画初期には工学実験衛星シリーズの名称としてSTAR (Space Technology and Astronautics Research)という仮のシリーズ名も用いられ、初号機の仮称はSTAR-Aであったが、最終的には野村民也所長(当時)の提案でMUSES(Mu Space Engineering Satellite)というシリーズ名に決まった。
    シリーズ初号機であるMUSES-Aには、音楽の神でもあるMUSESに近い東洋の概念として「ひてん(飛天)」の愛称が与えられた。
    なお、「ひてん」は"Celestial Maiden"と言う公式英名が命名されている。
    また、海外の宇宙関係のwebサイトなどでは、孫衛星の「はごろも」は"Maiden's robe","Angel's robe"などと紹介されている。
    なお「STAR計画」の名はその後JAXAで、アジア太平洋地域のための衛星技術計画(Satellite Technology for the Asia-Pacific Region (STAR) Program)として用いられている[1]。


    活動内容
    活動内容
    軌道制御実験
    打上げ後、1990年3月19日に月を利用した最初のスイングバイを行い、孫衛星はごろもを分離して月の周回軌道に投入した。
    装置の故障で軌道投入の確認ができなかったが、周回軌道にのる時のロケットの光を国立天文台木曽観測所がとらえたことで、成功したと推定されている。
    その後1991年10月にかけて、加減速を伴うスイングバイを合計10回行っている。
    5回目のスイングバイでは後のGEOTAILと同様の高度135万 km に一時停留する軌道に試験的に投入された。
    1991年3月には世界初の試みとして、地球大気を使って減速し軌道を変更するエアロブレーキの実験を2回行った。
    さらに追加ミッションとして少ない燃料で月周回軌道に到達できる軌道を辿るため、9回目のスイングバイでいったん地球から153万 km まで離れ、地球引力圏の境界付近に到達した。
    そこで太陽からの引力を利用して近地点高度を上昇させ、10回目のスイングバイで月の公転軌道に近い軌道に乗った。
    この後ひてんは1992年2月15日に11回目の月接近で月の周回軌道にはいったあと、1993年4月10日に月のステヴィヌス・クレーターとフレネリウス・クレーターの間に衝突させ、計画は終了した。
    ひてんの運用によって得られた技術は、この後打上げられた磁気圏観測衛星GEOTAIL(ジオテイル)、火星探査機のぞみ、工学実験探査機はやぶさ等の運用に活かされている。
       

    宇宙塵観測
    宇宙塵観測
    MUSESシリーズは基本的に工学実験機であるが、科学衛星として宇宙探査にも活用されている。
    ひてんはミュンヘン工科大学との共同ミッションである宇宙塵カウンタが搭載された言わば惑星間空間探査機でもあり、地球-月間とその周辺の宇宙空間を多様な軌道で航行しながら宇宙塵の分布を観測した。
    ひてんの宇宙塵カウンタはミュンヘンの名をとった "Munich Dust Counter" と呼ばれるもので、MDCと略される。
    なお火星探査機のぞみのダスト計測器もMDCであるが、こちらは "Mars Dust Counter" の略である。
    追加ミッションでは月公転軌道において月と地球とのラグランジュ点 L4 、L5 の周囲を通過したため、コーディレフスキー雲の検出が期待されたが、有意なダスト増加は特に見られなかった。
    ひてんでの調査は回数が少ないため最終的な結論ではないとされたが、もともとコーディレフスキー雲は観測成功例が少なく、その存在が疑われている。
     
    月探査
    ひてん・はごろもは米ソ以外の宇宙機としては初の月周回機であり、月探査機と見なされることがある。
    ひてんは月スイングバイや月周回軌道投入の「月ミッション」をこなしながら月周辺の宇宙塵を観測したほか、解像度は低いが光学航法センサを用いて月面の写真も撮影した。
    最後の月面落下も意図的に地球から見える場所で行われ、衝突の様子が地球上から「観測」された。
    しかしひてんでは月の探査らしい探査をほとんど行っていないため、後年のかぐやは「日本初の本格的月探査機」ないしは「日本初の大型月探査機」などと表現されることが多い。

    熟女
    LUNAR-A
    LUNAR-A(ルナーA)は、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) により開発されていた日本初の本格的な月探査機。
    「ペネトレータ」と呼ばれる槍状の観測装置による月内部の探査を主な目的としていた。
    当初1995年の打ち上げを目指していたものの、計画は大幅に遅延。
    2007年1月15日、計画中止の方針が示された。
    LUNAR-A計画は日本初の本格的な月探査プロジェクトとして計画されていた。
    なお、日本の月探査機としてはLUNAR-A以前にひてん・はごろもが月周回軌道に乗ったが、これらの主目的は技術実験で、月探査については簡単な宇宙塵の観測や写真撮影を行った程度だった。
    月探査を行うため、LUNAR-Aは月面に「ペネトレータ」と呼ばれる槍状の観測装置を投下し、地中の約2メートル前後の深さまで潜り込ませるという手法を取っていた。
    ペネトレータには地震計と熱流量計が搭載されており、投下された2本のペネトレータによって月の内部構造を調査する。
    一方、母機のほうは、月周回軌道を周り、ペネトレータから情報を収集するだけでなく、搭載されているカメラ (LIC) によって月表面を撮影する。
    以上のような方法で、月の内部と外部を約1年に渡って観測することが計画されていた。
    これまでの月探査では、主として月の表面の地形や岩石など、地質の調査しか行われていなかった。
    それに対して、LUNAR-Aは月の内部をペネトレータによって直接探査するので、月の起源と進化を研究するためのデータが数多く得られることが期待されていた。
    また、アメリカのアポロ計画やソ連のルナ計画(初期のものを除く)などの場合、できる限り衝撃の少ない方法で月面に着陸機を降ろすため、探査機は月に軟着陸したが、LUNAR-Aの場合は月面に観測装置を直接落とすため、減速するためのロケットや制御装置も小型で済み、探査機の小型化が可能になるという利点があった。
    なお、LUNAR-Aを月周回軌道に投入する飛翔マニューバーは、工学実験衛星ひてんで開発されたものを採用する予定であった。
    これは地球周回軌道の遠地点高度を高度150万km付近にまで上げることにより、地球からの重力の影響を最小限とした遠地点付近で太陽の摂動を利用して近地点高度を上げ、月公転軌道に近い軌道に探査機を投入すると言うものである。
     
    計画の終焉と今後
    1995年度の打ち上げを目指し1991年から開発が始まったが、探査機本体(1997年に完成)及び、本プロジェクトの目玉であるペネトレータの開発に手間取り、さらに推進剤 / スラスターのリコールなどもあって計画が遅れに遅れ、2004年以降、打ち上げ時期が未定な状態が続いていた。
    さらに、本探査機を打ち上げる予定であったM-Vロケットも2006年7月に廃止が決定されてしまい、以後は打ち上げ手段すらも未定となっていた(本探査機に使用される予定であったM-Vロケット2号機も、部品が他のロケットに流用されてしまい、使用不可となっていた)。
    このため、計画中止が危ぶまれていた。
    また、本計画で予定していたペネトレータの打ち込みによる月構造の解析や水資源の確認などの主要項目について、2008年に予定されているアメリカ航空宇宙局 (NASA) のルナ・リコネッサンス・オービタープロジェクトの追加項目(主衛星から破棄されるエンジン部分と、ディープ・インパクトと同様の新規ペネトレータ衛星による)として、先に実現されてしまいそうな状況だった。
    日本の宇宙開発関係者や天文ファンには、本プロジェクトの完遂とM-Vロケットの更なる発展に期待を寄せている者が多かった。
    しかし2007年1月10日、JAXAは現状の報告を行い、同月15日、本計画を中止し、別の方法による月探査の実施を目指すとした見直し案を、文部科学省宇宙開発委員会推進部会に提出した。
    先述のペネトレータの開発の遅延のため、母船に使用した機材の接着剤の劣化などが進んでしまったなど、計画の見通しの甘さが響いた形となった。
    ペネトレータそのものの開発は目処が立っており、今後はJAXAで打ち上げを計画している別の月または惑星探査機や、他国の衛星に搭載する方針である。
    中でも、ロシアが2010年代前半に打ち上げる予定の「ルナグローブ」探査機 (Luna-Glob) に、日本で開発されたペネトレータが搭載されるという可能性がある。
    また、このLUNAR-A計画に使用される予定であったM-Vロケット2号機は、2008年10月から、神奈川県相模原市のJAXA相模原キャンパス(宇宙科学研究本部)にて展示されている。
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